社会人院生記

おっさんの社会人大学院生日記です。

相互評価

 学生同士がお互いを評価して、それが成績に反映される、という相互評価の制度は、先生による一方的な評価にはならないというメリットはあるが、やはり不公平感も残り、その運用には課題があると言えよう。

 

 実務の多くでは、チームワークが実績のために重要になる。そんな実感を持つ人は多いだろう。学校にもよるだろうが、MBAの勉強でも、この辺りを重んじる授業は多い。

 

 私が受けた授業の7割くらいで、グループワーク(GW)という、チームで宿題を完成させるという、これまで経験をしたことがない課題があった。多くの場合、個人に課されるレポートの他に、GWで内容を検討し、プレゼン資料を作り上げ、授業中にチームで発表する、ということが行われる。これが、レポートと並ぶ成績評価の材料となる。

 

 ただ、たまたま優秀な学生のグループだったり、その宿題の内容について専門性が求められる仕事をしてきた人がメンバーにいたりすれば、最低限の努力で良い成績がもらえてしまう可能性もあり、不公平にもなりかねない。

 

 そこで、先生によっては、これに、グループのメンバーで相互に評価させ、それも成績に反映させるという方法を採ることがある。これは、自分以外のメンバーを評価し、先生に提出するものだ。チームの成績は良くても、仲間からの評価が悪ければ、その成果物への貢献が低いとみなされ、良い成績はつかない。欧米の経営大学院では、よくある評価方法だと聞いた。

 社会人院生なので、リアルに会って課題を検討することは難しいので、夜間にzoomで会議を開く。日程の調整が大変だった。

 

 相互評価は、先生から見えない部分を評価してもらえるので、その点は有難い。また、MBAに必要なチームワークが評価されるので、実務的にも有益だ。

 

 ただ、不満もあった。周囲の同期生たちとこの点について議論したが、同様の不満を抱えた人が数人いた。

 

 チーム内で、目立つ仕事をした人や、仕切り役を務めた人に高評価がつく傾向がある。対して、裏方の仕事をした人や、重要だが地味な意見をした人、使われる部分はわずかだが、そのわずかな情報を出すために、裏では膨大な情報を処理した人などは、チームメンバ―からもその利点が見えないことが多く、評価は低くなりがちだ。

 

 数人の友人と議論したところ、目立つ仕事や仕切り役をする人というのは、大手企業で若いうちから評価され、下積みの経験が短い人が多いと分かった。中小企業の経営者にも似たような傾向があったようだ。一方で、中小の従業員の多くは、下積みの経験が長くそういった人は、裏で重要な仕事をしたり、地道に小さな意見を積み上げたりする人が多いという話があった。

 MBAに来るような人は、前者のタイプが多く、中小の人や下積みが長かった人は少ないので、裏方や地味な内容をこなす人にはスポットライトが当たりにくい。だから余計に、目立つ人に焦点が当たりやすくなる。

 また、相互評価は、学生同士の人間関係に影響を受けやすい。

 さらに、MBAの授業で扱う内容の多くは、大企業の従業員の方が、経験していることが多い反面、中小の人間にとっては初めて聞くことも多いのだ。GWでは、どうしても大手の人の方が目立つ役割を担うことになる。

 そんなこんなで、不公平感は残ってしまう。

 

 勿論、完璧な評価方法はない。だからこそ、相互評価だけでなく、チーム全体への評価やレポートも併せて成績がつくのだろう。また、相互評価は、前述のメリットもあるので、安易に廃止すれば良いとも思えない。

 

 であれば、もう少し不公平感が生じにくいシステムに向けて改良できないだろうか。評価ポイントを予め提示するとか、その内容について根拠を示した上で学生の意見を取り入れるとか、色々とあるかもしれない。

 

 相互評価は実に面白い制度だと感じたが、まだまだ改良の余地がある。不公平感を無くすということは、実務でも大事だろう。学生も、相互評価の方法について参画すること自体が勉強になると主張してみたい。

社会人院生が得たもの

 社会人院生を終えて、最も得た財産は何だったのだろうかと考えると、それは異なる世界を同時に処理する経験なのだろうと思い当たる。

 社会人院生という立場は、周囲から「大変だよね」とよく言われる。その通りだろう。何が大変かと言えば、当然ながら二つ以上の仕事を同時にこなすことだろう。複数の案件が常に並行している状況だ。

 仕事において複数の案件を同時に進めることは珍しくない。しかし、社会人院生の場合は、仕事とは別に大学院生としても活動するという点が異なる。例えば仕事と介護、または複数の仕事などが同時に発生する。私の場合は、仕事と大学院生の両立が該当する。

 始める前は漠然と「大変だろうな」と思っていたが、実際にやってみると、「かなり」大変だ。仕事と大学院生の並行は予想していたが、実際には家庭も加わる。仕事だけの頃は、家庭のことは余暇で処理できたが、大学院生としての時間を確保すると、家庭の時間を削るしかなくなるが、全てを削減するわけにはいかない。私の場合、老人と同居しているため、削れる家事は少ない。また、持病を抱えているため、これも並行して考慮する必要がある。仕事と持病の並行だけでも十分に負荷がかかるが、それに大学院生が加わり、家事も削り切れない状況になると、生活はかなりタイトになる。

 同様に、二足どころかそれ以上の負担を抱えた同期も多くいた。社会人院生を成功させるには家族の協力が不可欠だが、協力を得ても、何も手伝わないわけではない。介護の責任を負う親や小さな子供がいる場合、家族としての役割は減らない。多くの人が、仕事・家庭・大学院といった三つの領域を同時に処理しなければならない。さらに、地域社会や親族の問題を抱えている人もいる。私のように、健康上の問題を抱えている人もいる。これらは二足ではなく、もっと多くの負担を抱えた状況だ。これが社会人院生の現実だ。特に、専門職の経営大学院では、実務経験が重要視されるため、実務経験を積んでいる方が有利だ。私が通った大学院では、数年の実務経験が要求されるが、実際には数年ではなく10年以上の経験を積んだ人が大半だ。20年以上の経験者も珍しくない。となると、ほとんどの人が一定の年齢以上であり、当然ながら何らかの問題を抱えている人が多いのは不思議ではない。

 これらの問題に対処しながら、授業を受け、レポートを書き、卒業課題を完成させることが求められる。自己管理や周囲との協調、無駄の削減が極めて重要になる。

 異なることを同時に処理する能力が大きなスキルになった。最初はそれほど大したことではないと思っていたが、実際に経験してみると、「並行」が最も困難なことだとわかった。色々な方法を試みた。例えば、エクセルでガントチャートを作成したりしたが、多くの方法はかえって手間を増やすだけだった。結局、A4の紙に手書きで数か月分の工程表をざっくりと書き、細かいことは紙の手帳で管理する方法が最も効果的だった。

 工程表には、仕事・家庭・大学院・健康の項目を設け、それらを同時に記入した。紙の手帳では、週ごとに時間をデザインして記入した。簡単な進捗状況も書き留め、工程表をクリアしたら二重線で消し込んで、机の前に貼り付け、常に意識した。特に、この方法は論文を書いている時には非常に有用だった。

 健康の項目には何を書くのかというと、特にないのだが、気圧の変動が体調に影響を与えることがあるため、中長期的な天気予報も記入し、体調の悪化をざっくりと予測してスケジュールを組んだ。中長期予報は変動するため、変更があれば工程表も更新した。あまり頼りにはならないが、何もしないよりはましで、少しは安心できた。

 おそらく、社会人院生として得た最大の成果は、この「並行」を処理する力だろう。予想以上に大変だったが、なんとか乗り越えることができた。世界の上位層の人々は驚くべき努力をしている。このようなハードルを超えられないようでは、彼らの背中を追いかけることもできない。「並行」対処に苦労したことで、少しは、彼らに近づけたのかもしれない。

皆さんも、ご自分に合った方法を見つけてほしい。 

気が抜けて

 これまでの社会人院生という立場が終わり、ちょっと気が抜けている。周囲は仕事に戻り、或いは勉強会に参加し、などと精力的に行動している人もいるが、私はちょっと腑抜けになっている。見ていると、独身者ほど気が抜けている。やはり、家族がいると違うのだろうか。

 

 病気と闘いながら社会人院生をするのは、当初の予想以上に苦しかった。投げ出したくなったこともあったが、何とかここまで来ることができた。そして、一種の燃え尽き症候群みたいになっているのかな。

 色んな目的や思いを抱えて進学したが、目的の一つに「転職」があった。以前にも書いたが、私がいた経営大学院には、大企業の人が7割、中小企業が3割ほどいた。中小の人、と言っても、経営層が多く、私のような中小の従業員は多くない。同じような立場の同期もいたが、やはり修了後には転職を考えたい、と言っていた。大企業から来ていた人と話していると、我々の労働環境とは大いに異なっていることが分かる。大手の人からすると、我々中小の働く環境は、とても信じられないくらいにブラックに見えるらしい。それは、入学前から何となく分かっていたが、入学後に話をしていると、自分が惨めに思える位に実感した。彼らと接するほど、転職したいとの思いは募る。

 

 ただ、MBAになったとしても、転職はちょっと難しい。中小の履歴がある人物を、大手は好まない。大手への転職はハードルが高いのだ。また、MBAを持っているからこそ、敬遠されることもある。転職は、楽ではないことが分かる。

 

 周囲から起業を勧められることもあるが、勉強したからこそ、厳しい現実もよく分かる。チャンスがあればチャレンジしたいが、そのチャンスを見つけること自体が容易ではない。

 

 転職も起業も難しいと分かるからこそ、本腰を入れないといけないが、燃え尽き症候群で気が抜けて、なかなか進まず。我ながら情けない。それでも、修了式から1週間が過ぎたこともあり、ようやくスイッチが入り始めた。さて、どうなることか、自分でも期待半分、不安半分である。

修了式

 今の時期、各大学院では修了式が行われている最中だと思う。我々、社会人院生を中心とした大学院では、土日で式が行われるのが普通だろう。

 

 私は経営修士MBA)となった。日本では、研 究系の大学院だと経営学修士となり、専門職だと経営修士または経営管理修士となる。ただ、どこまでがMBAなのかは議論があるが、経営学における専門職大学院修士MBAということが多い。専門職は研究系と異なり、修士論文は必須ではない。海外ではまず書かないが、日本では修了に向けた課題研究の1種として論文を選択できる大学院は多く、私も論文を書いた。論文は実務系の論文と、学術研究の論文を選ぶことができ、私は学術を選んだ。学術論文は、研究系の修士論文と同じであり、これが合格したので、一応は、博士課程に進学しようと思えばできる。

 

 これまで、何度も書いてきたが、我々は社会人院生だった。欧米の多くの大学では、MBAの学生になるには、実務経験を要する。日本では、大学院によって異なるが、私が進学した先は、実務経験が無ければ進学できず、殆どの学生は、仕事を持ちながら通うことになる。

 

社会人院生となると、若者学生以上に、色んな事情を抱えた人がいる。修了式にも、朝から仕事をしてから来る人、式典後に仕事に行く人、子供を連れて来るので懇親会は欠席する人、仕事で来られない人、最近失業した人、など。色んな事情が垣間見える式典だった。

 

 ある程度以上の年齢になると、体調の問題を抱える人もいる。入学直前に異動になり、バタバタした状態で入学した人もいた。仕事の事情が変わり、休みがちの人もいた。これらの人達が、文句を言い合うのではなく、お互いにカバーしあいながら協力して学びを深めていく様は、見ていてなかなか気持ちが良い。

 

 人脈に期待をしていない人は、学位記だけをもらってサッサと帰ってしまう。本来であれば、私もその手の人間なのだが、最後の記念だと思って、パーティーまで残った。期待をしていなかったが、今まで殆ど話をしたことが無い人と、会話を楽しめたのは予想外の楽しみだった。私でも、会話が楽しめるということを発見できたのは、意外だった。

 

 パーティーでは、色んな人と会話をした。みんな、色んな事情を抱えていたことが分かり、体調に問題を抱えていた私は、妙に親近感が湧いた。我々は、MBAの中でも、EMBAに分類される年齢層だろう。40代が中心の大学院だから、様々な事情を抱えながら通学していて当然なのだろうが、誰もが苦労していたことが伺えた。みんな、大変だったんだな。

 

 卒業後の状況は様々だ。私は転職先を探すが、大半の人は、急に状況がア変わるわけでもない。それでも、学位をテコにしたり、勉強の内容を活かしたりして日々の仕事に精進することになる。時には、鬱陶しくも思った人間関係だが、いざ別れてみると結構、寂しいものだ。片手間に通った大学院だと思っていたが、想像以上に、自分に大きな影響を残しているのだろう。

 

 前述の通り、私は転職先を探すつもりだ。この経験をしっかりと活かしたい。

変革は難しい

 経営大学院の行事もほぼ終わり、後は修了式を待つばかり。ゼミの仲間とパーティーなども予定されているが、あと一か月もしないうちに、全てが終わる。

 この間に、復習や読んでおきたい本に目を通そうと思っている。全ては無理なので、自分の中で勉強しておきたいと考えていたマーケティングファイナンスを重点に復習するつもりだ。

 ここまで来ると、中小企業の人を中心に、ちょっとした相談を持ちかけてくる。人手不足、物価高騰、大企業に資金が集中していく状況、海外勢との競合、社会全体での先行き不透明さ、などなど。中小を取り巻く情勢は非常に厳しい。特に人手不足と諸物価の値上がりは、中小の経営を苦しめている。ただ、日本企業の大半は中小であり、従業員数も7割が中小だ。中小の復活無くして日本の復活はない。

 とはいうものの、話を聞いていると、色々と難しい。変革が必要なことは理解しているが、やはり現状の延長に未来を思い描いてしまう、そんな様子が見て取れる。さらに、中小では人数が少なく、経営陣と従業員の距離が近いこともあり、従業員が変革に拒否感を示せば、まず変革は実現できない。中小の経営者と話をしていると、ほぼここで行き詰っていることが分かる。

 色んな人と話したが、経営者も従業員も、現状の延長に未来を思い描き、今までやってきたことにこだわり、そして時間や人手の不足を理由に変革にNoを付けたがる。

 とある中小の経営者と話をした。コロナで経営が逼迫し、色んな人に相談していたそうだ。レベルの高い人ほど、新しい考え方ややり方を勧めてくるそうだが、従業員からの抵抗が強いそうだ。かなりしっかりとした市場調査に基づいてニーズを割り出し、組織の在り方も含めた新しい体制やサービスを提案されるが、役員も従業員も、今までやってきたことを否定された気分になり、また、新しいことへの不安もあり、結局、変革は拒否されるとか。

 結局、現状の延長になってしまう。例えば、売上が落ちていることへの対策として、従業員に意見を募っても「営業の強化」という、現状の延長の案ばかりが出てくるとか。新しいことを提案しても、ああだこうだと理由をつけて、否定されてしまう。データを示しても、「データで現実は動かない、現場が一番よくわかっている」とされてしまう。

 勿論、現場が分かっている、という言葉も正論だが、データが示している内容を否定する根拠を挙げられないことが殆どだという。にも関わらず、拒否される。その経営者は「このままではジリ貧」というが、他の人からは「経営者が、ちゃんと資金を調達してこい」としか言われない。

 人は変革に対しては、拒否したくなるし、リスクを採ることには不安を感じるものだ。リスクを採る、とは、何も金関係だけでなく、組織ややり方、商品やサービスを変えることで、上手くいかなくなる可能性も含まれる。多くの経営層が言うように、リスクを採らなければ変革を実行することは難しいし、そうしなければ、先はない。

 そんなことを感じる2週間だった。

生成AIは勉強に使えるか?

 お題に対して、結論を先に書くと「使える場面もあるが、まだ怪しい」というところだろうか。

 chat-gptが登場して以来、生成AIが話題になっている。経営の問題を勉強する以上、知らない訳にはいかないと考え、まずはchat-gptを使っている。面白いツールである。

 使っているのは、無料のchat-gpt3.5と、有料のgpt4だ。初めは無料版を使っていたが、限界を感じたので4にした。
 どこまで使えるかが重大な関心事。で、まず、3.5に仕事上の課題を相談してみたところ、素早く回答してくれた。レスポンスは3.5の方が速い。速いのは良いのだが、全体として納得感が薄かった。一般論を返してくるだけだ。個別の条件を打ち込んでみても、個別に最適化したような回答はなかなか返ってこない。その上、間違いも散見される。特に怖いのは、①計算、と②統計、だ。

 ①の計算について、単純な計算を間違えてくる。2桁の割り算を間違えたりする。②の統計も、基本的な読み方を間違えたりした。その点をgpt3.5に対して指摘すると、一応、間違っていたことを認めるのだが、少々怖い。

 授業中にgptを開いて、試しに先生の話を基にした質問を打ち込んでみると、一応何らかの答えを返してくるが、大抵は、先生の話よりずっとレベルの低い一般論だ。

 当たり前だが、このレベルでは課題などには使えない。どこまで使えるかと思って、試しに課題を打ち込んでみても、ろくな答えは返ってこない。課題を応えるための手順を返してくれても(笑)、どうにもならない。データを与えても「データが足りない」と言われ、具体的に足りないデータを聞き出して打ち込んでみても、それでも答えが出ない。

 そこで、chat-gpt4に格上げしたのだ。4は3.5よりレスポンスが遅いが、3.5よりは突っ込んだ内容を返してくれるが、それでも、先生や論文の程度には及ばない。文章を作るだけならば優秀なのだが、データや数字が入り、またそれらの解釈が入ると、途端にレベルが上がらなくなる。3.5ほどではないものの、間違いも散見される。

 全体として、文章だけなら、条件を打ち込めば、それなりに優秀な文章を書いてくれるが、上記の通り、数字などのデータの扱いは雑だ。データの解釈も、余り精度は高くない。まだ、大学院レベルの勉強に使えるとは思えない。また、最新のデータがあるわけではないので、最新性が重要な経営学にどこまで使えるかは疑問だ。

 それでも、仕事の補助には使えるし、弱い分野であれば、当たりをつけることもできる。使い方を間違えなければ、補助的に使えるとは思う。

 今後、この分野はますます発展するだろう。好むと好まないとに関わらず、知らない訳にはいかない。また、人手不足・時間不足への対応には、ある程度は使える。使わない手はない。個人的には好まないのだが、AIにしっかりと慣れていこうと思う。

睡眠は削らない

 社会人大学院生というと、睡眠を削り、休みを削り仕事と勉強に励んでいるというイメージがあるのかもしれない。これはある程度は正しい。特に「休みを削り」という部分はかなり正しい。そもそも、授業やゼミ、イベントは土日に実施されるのが普通だし、平日も夜間に授業がある。休みを満喫するような時間はない。周囲でも、ゴルフが趣味の人が、MBA2年の間はゴルフを封印する、と宣言していた人もいた。趣味をじっくりと満喫する時間は、先ずないと考えて良いだろう。夏休み・冬休み・春休みはあるが、読み切れなかった本を読む時間でもあり、休みを満喫とは言い難い。

 一方で「睡眠を削り」の部分は、余り正しくない。社会人として院生をしていれば、体調面で厳しいことが起きやすい。また、年齢もいっているので、睡眠を削りすぎるような事態は避けなければならない。勿論、課題が重なってしまい、一時的に睡眠を削るような事態はあり得るが、仕事にしわ寄せを与えないように、睡眠を削りすぎるようなことは避けている。私に限らず、周囲でもそうだった。

 文明社会の人間にとって、時間の使い方は永遠の課題となるだろう。特に、複数のわらじを履く人にとっては重大かつ喫緊の課題となる。社会人院生をやるということは、こういった課題に向き合い、その技を磨くチャンスとなるような感じもしている。